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〜最上家の足跡を訪ねて〜 高野山・京都・近江大森の旅


慶長5年(1600年)、山形を舞台にした慶長出羽合戦にて、かの直江兼続の軍を破り、57万石という莫大な土地を手に入れた武将がいます。

幼名は「白寿丸」、後に「虎将」と呼ばれるようになったその武将の名は「最上義光」。
現在の山形の礎を築いた大大名です。

今年は、そんな最上義光公の没後400年目の年に当たります。
この節目の年に、最上義光公のルーツを巡る旅をご紹介いたします。

みどころ(1)高野山
高野山には、真言宗総本山である金剛峯寺を中心に、壇上伽藍、三鈷の松など多くの見所があります。高野山奥の院参道には、30万基ともいわれる無数の供養塔が並びます。ほとんどの大名、武将のものがありますが、その中でも最上義光公・家親公の供養塔は5m近い圧巻の高さ。さすが57万石の大大名ですね。宿泊は最上家の供養塔を管理する宿坊「北室院」にて。食事は一汁一菜の精進料理など、通常の宿ではできない宿坊を経験することができます。
(2)京都・瑞泉寺
瑞泉寺には、関白豊臣秀次謀反の疑いに連座して処刑された一族ら30数名が供養されています。その中には、わずか15歳にして命を落とした義光公の愛娘「駒姫」も含まれます。義光公の悲しみはいかばかりであったことでしょうか。境内には駒姫を含め秀次、妻妾の供養塔が並びます。瑞泉寺にて、ご住職のお話を聞くことができます。
駒姫辞世の句
「罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき」(3)京都・北野天満宮
こちらの宝物殿には最上家伝来の宝刀「鬼切」が所蔵されています。大江山の鬼を切ったと言われる源氏の重宝刀で、それを持っていたことから最上家がいかに名家であったことがわかります。宝物殿は通年で開館しているわけではなく、宝物保存のため展示していない時もあります。今回は、なかなかお目にかかることのできない宝刀「鬼切」を見ることができる絶好のチャンスです。
(4)近江大森地区
滋賀県東近江市大森地区は、最上家が改易後に領地替えになった場所です。最上陣屋跡の石碑(碑銘は元大蔵大臣・武村正義氏)や最上家菩提寺の妙応寺、移築陣屋門などの見学のほか、なんと最上家家臣の末裔にあたる方や地元歴史ガイドさんとの交流懇談会も予定しております。
スタッフより今回の企画は、現在の山形の礎を築いた最上義光公没後400年目の年に、改めて最上家の足跡や、そのゆかりの地を訪ねる記念事業協賛企画となっております。この歴史的な節目に、最上義光公のルーツを探る旅に出かけてみませんか?(金田雄介)


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